
かつて銅鑼湾は、日本の百貨店が覇権を競い合う香港随一の商業地でした。大丸、松坂屋、そごう、三越といった名だたる百貨店が進出し、日本式のサービスと多彩な商品で香港の消費文化を牽引していました。その頃の銅鑼湾は、まさに「百貨店戦争」の舞台。
しかし、賃料の高騰やビジネスモデルの変化により、多くの百貨店が撤退を余儀なくされ、今ではそごうだけが残る状況です。ただし、このそごうも実際には香港資本が運営し、ブランド名を借りているに過ぎません。
興味深いのは、銅鑼湾が早くから発展したため、近年の新興地区に比べてスクラップ&ビルドの動きが緩やかだという点です。そのため、街並みにはどこか懐かしさが残り、日本の百貨店が築いた時代の息吹を感じられる場所も少なくありません。そして、セールのたびにそごうに押し寄せる人々の熱気を見ると、今もなお銅鑼湾が香港の消費文化の中心であり続けていることを実感します。そごうの名前だけは残りましたが、この店がかつて日本資本だったということが、人々の心に長く残ればいいのですが。変わらない部分と変化した部分が交錯する銅鑼湾に、日本が遺した影響は今も色濃く息づいています。