「余談であるが、」

司馬遼太郎みたいですね。

真面目な話の中には、息抜きのような回があっても良いかと思います。日本語でブログを書いている以上は、日本の読者の皆様に、香港の魅力を発信していかなければと思うのです。

余談であるが、

本日、オフィスの皆さんに、飲茶に連れて行っていただきました。

香港といえば飲茶、飲茶といえばエビ餃子にシュウマイ……ですが、実はその他にも、美味しい点心はたくさんあります。

実は香港に来るまで、飲茶には興味がなかったのですが、一度行くと虜になってしまいました。日常的に通っているわけではありませんが、少し特別な食事によく使っています。点心の白くてぴちぴちに張りつめたフォルムといい、具は何だろう? というわくわく感といい、とても魅力的ではありませんか?
​まずは中華風焼きそば「炒麵」です。イカゲソ入りで、麺が細くパリパリ香ばしくておいしかったです。飲茶屋さんは、点心ばかりではなく、麺やご飯ものも美味しいのです。


​これは、「叉燒包」チャーシューまんです。甘辛く煮たチャーシューの細切りが入っています。チャーシューまんは、どのお店でもぱっくり割れた形をしています。どうしてなんでしょう。


「咸水角」ハムソイゴッ、と発音します。甘みのある餅で肉や野菜の餡を包んで揚げたもので、日本語では「もち皮揚げ餃子」と訳されるようですが、個人的には、餃子というより春巻きに近い餡だと思います。昔からある伝統的な点心だそうです。


定番のエビ餃子ももちろん美味しかったですよ! 香港人の友人と飲茶に行くと、よくエビ餃子を勧められます。なぜか、日本人はジャスミン茶とエビ餃子が好き、というイメージがあるそうです。


​そして、本日初体験の「蛋散」というデザートを食べました。甘いシロップがかかっていて、サクサクしていて、噛むと一瞬で粉々に崩れます。乾燥させたシュークリームの皮のようなお菓子です。

香港では、飲茶は普段の食事にしては少し高価ですが、日本よりもずっと安く食べられます。有名なチェーン店も美味しいのですが、個人的には郊外にあるような老舗が、素朴で親しみやすい味がして好みです。しかしどのお店も点心やお茶に豊富な種類があり、どれも美味しくて、やはり食文化は本場が最も豊かだと感じさせられます。

香港の女子学生

少し前に、東大における女子学生の少なさが話題になりました。東大に限らず、日本のほとんどの有名大学では、男子学生の割合が女子を大きく上回っています。そもそもの問題としては、大学進学率そのものに男女差があるようです。

私は、そのことにあまり疑問を持たずにいたので、香港の大学にやってきて驚きました。

女子学生の数が多い!のです。男子が圧倒的な日本の大学に慣れていると、すぐに気がつくくらい、女子学生の多さが目立ちます。この大学の男女比はほぼ一対一、文系学部では女子がほとんどで、一部の理系学部も女子の数が男子を上回っているそうです。

さらに、彼女たちの姿にも驚かされました。香港では、「学部はどこ?」と聞かれることはほとんどありません。皆、「専攻はなに?」と聞いてきます。そして、分厚い教科書やびっしり書き込んだノートを持ち歩き、専攻のことについて聞かれると、早口で自分の知識を熱弁します。

日本では、女性にこうした振る舞いはできないでしょう。それは、美徳ではないからです。知識をひけらかさないことこそが、美徳であるとされているからです。できるけれどもできないふりをしたり、知っているけれども知らないふりをしたりすることが、本当に賢い女性のすることだなどと、日本ではよく言われます。

香港にこなければ、日本の社会がどれだけ抑圧的であるかに気づくことはできなかったと思います。勉強する、努力するということに対して、非常にのびのびとした香港の女子学生たちを、私は羨ましく思います。

雨の香港、人間模様

TYAの次の記事に行き詰まり、大雨の中、少しの間オフィス付近のコーズウェイベイ周辺を散策してみた。

オフィスを出てまず、ビルの軒下付近で大雨から避難した人達に遭遇した。安全な軒下があるにも関わらず、濡れながら信号を待つ親子に、無言でそっと傘を差し出す人もいた。雨の通りに躍り出て両手を広げて興奮するピザ屋のスタッフにも会った。行きつけのカフェに行ってみたが、相変わらず客はおらず、スタッフが好奇の目で土砂降りの通りの様子を伺っていた。小学校の頃は台風が来ると学校が休みになるかドキドキしたものだが、香港はよくあの時の気持ちを思い出させてくれる。

 

 

日本であればこう言う大雨の時でも、ほとんどの人が冷静に対処し、コンビニで傘を買うなり、上手に軒下や地下道を利用するなりして、髪の毛までずぶ濡れになったり無謀に傘無しで大雨の中を走るようなことをする人はあまりいない。雨が降れば即座に様々な商業施設の入り口に傘ぽんが置かれ、コンビニなど雨具を扱う店では客が傘等を買い易いように入り口付近に商品を並べる。日本の都会人はズブ濡れになってしまうと、大概行き先の床や椅子も濡らして回ることになるので不名誉だと考えるのではないだろうか。
ほんの10分ほどの間、私が頼んだコーヒーを待つ間に、雨は随分落ち着いていた。帰り道、この僅かな時間に様々な人間模様を垣間見たきがしていた。
香港には色々な人がいる、と改めて実感した時間だった。たまには、雨に濡れてみてもいいかもしれないし、敢えて雨の中傘もささないでいるような人に、傘をシェアしてあげられる、強くしなやかな優しさを持っていてもいい。香港は様々な人種を許容してくれる場所なのだから。

香港人のアイデンティティ

香港人は自分たちのアイデンティティをどうとらえているのだろう。

先日、香港返還時点の香港人アーティストへのインタビューを何本か読んだのだが、彼らの多くが香港に対して現在と大きく異なる見方を持っていたことに驚いた。返還時点では、世界から興味を失われることへの恐怖と、支配から解放された自由への希望、中国に回帰したという安心感などを語るひとが多かった。これは今の世論とは少々異なっている。しかし同時に、制度の転換と変わらない日常の狭間で、自分たちは結局何者になるのかというぼんやりとした問いを抱えていることも記されていた。

Oscar Chan Yik Long 《Like a Ghost/如是者》(2015)

香港人のアイデンティティを規定するのは、おにぎりを食べながら桜を見上げて「日本人で良かった」と安らぐように簡単なことではない。むしろ、中華圏の伝統に垢抜けた西洋文化、そして東南アジアの熱気を併せ持つ混沌そのものがアイデンティティとも言えるだろう。

そのなかでしいて言うなら、香港には固有の観光資源である街がある。海沿いの高層ビルや密集する高層住宅、看板の飛び出す色鮮やかな下町といった街並みは多様さを巻き込んで常に変化を遂げながら観光客を魅了してきた。Quarry bay周辺のマンション郡は最近日本でもSNSを通じて認知度が高まり、観光客がひっきりなしに写真を撮っている。(住宅にはかれらの生活があり、遠慮なく生活圏に踏み込む様子には疑問を覚えるが。)

香港といえば独特の街並みを連想する人がほとんどだろう。Made in HongKongのプロダクトはなくとも、街並みは人と共にある。

土地の狭さゆえにできたこの街並みは観光資源として観光客を惹き寄せる。一方皮肉なことに、その狭さからなる地価高騰は格差のもとにもなり深刻な社会問題となっている。アイデンティティがアイデンティティを潰す構造が出来上がっていると言うのは言い過ぎだろうか。

香港人のアイデンティティはどこへ向かうのだろう。

私が興味を持っているのは、混沌のなかに生きるひとのもつ声だ。結局モノのほとんどない香港を作っているのは人である。多様なものを取り込むことの上手い彼らがそれをどのように消化し、発信していくのかに注目していきたい。

ちょうど香港政府は、今後の成長に優位性のある6産業のひとつとしてカルチャー・クリエイティブを取り上げている。文化の交差点として新たに生み出される反応に、期待が高まる。

OSCAR CHAN YIK LONG: http://www.oscarchan.com/like-a-ghost–229142615932773.html

#香港 #アイデンティティー #住宅 #高層マンション #カルチャー

香港は中国じゃない?

香港に来てから、私は何度もこの言葉を耳にしました。ある時は学生団体のパンフレットを片手に真剣な口調で、ある時は夕食の席での話題の一つとして。香港である、香港人である、というアイデンティティは、ここではとても重要で、それに関しては非常に気を使います。

特に、英語で話をする場合、かなり言葉を選びます。それは、英語では「中国」と「中華」を区別できないからです。日本語や中国語では、「中華文化」といえば中国、香港、台湾の、ごくまれには日本や韓国やベトナムの、共通した一つの文化を指すことができますし、「華人」といえば、中国人・香港人・台湾人、もしくは華僑を指すことができます。「中国人」といえば、(少なくとも香港では)中国に住む人だけを指します。しかし英語では、どちらもChineseなのです。そして香港の人は、Chinaという言葉に非常に敏感です。漢字やお茶や武道のような「中華文化」が好き、と言うとき、「Chinese culture」が好き、というと、相手は確実に、ちょっと微妙な顔になります。こういうときどうするかというと、私は広東語で複雑な会話はまったくできないので、I like Chinese culture, I mean, “中華文化”. と、英語と広東語のちゃんぽんをすることになります。これはけっこう格好が悪いので、広東語をもっと勉強しないとなと思います。

 

とはいえ、Chineseという言葉に対する認識はかなり微妙なところがあるとも感じます。私自身の感覚では、「漢字」を「Chinese character(中国の文字)」と言うのは誰も気にしないようです。そもそも広東語であろうが、日本語であろうが韓国語であろうが、「漢字」=「Chinese character」である、というのが国際的に定着した英訳だからです。それから、香港では話し言葉は広東語でも書き言葉は中国語で、「中文」という単語がそれに対して使われるというのも理由の一つでしょう。

 

…と、細かい区別についてわかった気でいた先日、夕食の席で「Chinese food」はやっぱりおいしいね、と話し、見事に地雷を踏みました。「もしかして、香港は中国だと思ってる? 香港は中国じゃない」と。そもそも言葉の問題ですから、受け取り方は人によってそれぞれでもあると思います。香港人の友人が、「Chinese soup」だよ。とスープを勧めてくれたこともあります。しかし、どの言葉を使うのがふさわしいのか、少し悩んでみるのが、ずっと日本で生活してきた私にとっては、グローバル感覚を理解することに近づくのかな、と思います。

 

自己表出に対する感覚の差異

わたしの今のルームメイトは韓国からきた女の子だ。彼女はメイクアップに1時間近くかけ、インスタグラムの投稿は自分1人の自撮りの割合が高いという典型的韓国女子のイメージを裏切らない。

そんな彼女のインスタグラムを見て最初はたじろいだ。こんなに自分に自信があるということを見せて恥ずかしくはないのだろうか。そもそもなんのために自撮りを毎週のように載せるのだろう?いいねがほしい?綺麗だということを拡散したい?他の友達曰く「暇だと自撮りする」ひともいるらしい。暇だったのだろうか。

以前ルームメイトが他人に撮ってもらった写真を見せながら「わたし、かわいく写ってる?」と真顔で聞いてきたこともあった。(返事はもちろん一択である。)その写真はのちにインスタグラムに投稿されていた。

自分の容姿に自信を持ち、それを恥じることなくむしろ積極的にアピールしていく姿勢は、日本ではなかなか受け入れられない。自意識過剰と言われるのではないかと周囲を気にするひと、自分なんて可愛くないしとかえって容姿に否定的になるひともいる。

香港人の自分写真文化も興味深い。

私の大学の寮では自治委員が中心となってイベントを企画し寮の方針決定に携わっている。そこで驚いたのは、何かの折につけ寮のガラス窓に自治委員の拡大写真が貼られることだ。

みな自信満々にポージングしている。

仮に、毎日拡大された二重アゴの自分と対面するとしたら恥晒しすぎる。ストレスで痩せるかもしれないが。

韓国も香港も自分の顔や容姿を恥らうことなく外に見せるという点では日本と大きく異なる。しかしこの二者の持つ背景は異なっているように感じる。韓国の場合、他者の目あっての自己表出なのだ。数名の韓国の友人と話していてわかったことだが、手をかけて美しくしなければならないという強迫観念にも似た風潮があり、その抗いがたい力によっていかに自分が皆と同等かそれ以上に美しくなっているかを、他人に認めてもらわなければならない。

一方香港の場合、自己表出に他人は関係ない。どちらかというとあまり他人の目を気にしない風潮のため、拡大された自分についてどう思われるかという自意識も薄いのだろう。

自撮りにかんして言えば、この二国に限らず多くの国のひとが好んでポストしている。男性が自分の顔の自撮りをポストすることも珍しくない。むしろ日本のほうが特殊なのかもしれない。最近は自分の写真を上げるひとも増えているが、食べ物や花など他のアイテムと共に写っていることがほとんどで、顔のみの自撮りはあまり見ない。アイテムを使わなければ自分を堂々とポストできないのだとしたら、そんな日本のほうが計算高い、あるいは歪んでいるのかもしれない。

「モアナと伝説の海」ポスターのローカライゼーションに見る表現の差異

香港では映画の宣伝ポスターや電子広告があらゆるところに存在する。

同じ映画のポスターでも国によって異なるということをわたしは最近まで知らなかった。その国のマーケティング戦略にあわせて少しずつ変えているらしい。

日本の差異が指摘される時は大抵、映画の意図を大幅に歪曲しているという否定的な意見が多いようだ。

最近公開されていたディズニーの新作アニメーション「モアナと伝説の海」(原題”Moana”)もその傾向が見られる。

まず香港の宣伝ポスターは、今回のプリンセスであるモアナと旅の道連れマウイが並んで立っている凛々しい姿だ。これは香港以外でもほぼ同じである。モアナの溌剌とした力強さが伝わってくる画と言えるだろう。

香港の映画情報サイトWMOOVに映画紹介として載っている他の画面も、モアナが勇ましくオールを持つ姿などが見られる。

一方、日本版のポスターを見てみると、モアナが手でハートを作っている。マウイの姿はない(後ろの鳥がマウイの変身姿らしい)。本編の中にハートを作るシーンはそもそもない。

日本ではディズニープリンセスといえば可愛らしく優雅であるというイメージ戦略を打ち出していきたいようだ。しかしアナと雪の女王ではっきりとわかったように、近年のディズニープリンセスはもはや旧時代的な「白馬の王子様を待つ受身なお嬢様」ではいられない。それでも未だ日本でそのイメージを押し出す必要はあるのだろうか。

いかつい人間姿のマウイが消し去られてしまったのも、そのイメージを維持するためと考えられる。(刺青の印象が社会的に悪いためという説もあるが、どちらにせよ軽い扱いになったであろうことは想像に難くない。)

マウイの扱いの軽さに関してはこのデザインでさらに顕著に現れている。

完全に消し去られているのだ。

ディズニーが現代の風潮を巧みに取り込んで作り上げた作品の意図が薄れてしまうという点で残念な改変だと感じた。何より、日本人の感度をもう少し信じても良いのではないだろうか.

引用

http://wmoov.com/movie/photos/32541/6

http://www.disney.co.jp/movie/moana.html

#Japandisney #disney #TYA #ローカライゼーション #ディズニー

#モアナと伝説の海

Marketing _ Globally, the lower levels of trust in society, business and media.

According to the survey of The Edelman Trust Barometer 2017, the lower level of state of trust was founded in society, business and media globally. Most of the developed countries have the lower trust in their society, business and media.

On the other hand, the people who are living in very controlled societies are optimistically trusting their society more.

The people who are in lower trust countries use more search engines to make sure the given information or evaluation is right. Whereas the people who trust their society seem to believe official or traditional information more than people in lower trust countries.

Looking at social peer to peer dynamics in Hong Kong, even though they are in the middle rank in the league, they care mouth-to-mouth review.

To sums up, regardless of the trust levels, it must be the core for business to take care the reviews and evaluation online, especially at non-official platform or SNS that people freely comment on.

 

Reference Link(EG): https://www.slideshare.net/…/2017-edelman-trust-barometer-j…
Reference Link (JP): http://www.slideshare.net/EdelmanJapan/2017-71938474

#Trast #media #data #key #for #yourbusiness #Marketing #TYA #TYAHK #hongkong #HK

How to stock the creative inspiration?

TYA member interview- [Hilda ]

“If I were to have an interview about myself, I would express by the photo I took.” Our Art Director Hilda told me.
” Photography is a big part of my life. I enjoy the crisp sound of the shutter clicking, no matter film or digital. It helps me to capture the beautiful views, colours and tones of that specific moment, at that specific place.
Photography relaxes me and gives me inspiration during my free time. It makes me happy. It is also my expressions of what I see, how I feel and helps me see things in different angles. “

In my observation, she is also a travel lover (the photo was taken when she was 6, travelled in Kyoto) who takes lots of photos.
Clearly, she refreshes and charges inspirations by taking photos but at the same time, learn compositions and colours, the secret of the beauty…!#TYA #TYAHK #hongkong #hk #hkoffice #creative #goodvibe#workdifferent #ilovework #lifestyle #dreambig #brainstorming #create#collaborate #innovation #motivation #coworkers #officeculture #Japan#CWB #photo #shooting #collage

「鶏」にみる感覚の差異

インターンY ブログ3

香港の広告が派手だということは以前も述べた通りだが、MTRの車内広告で色味やデザインそのものとは別にインパクトの強いものを見つけた。

衛生署による香港への持ち込み禁止食物広告だ。この路線は深圳と繋がっており、特に鳥インフルエンザへの懸念から鶏肉や卵製品がフォーカスされているのだろう。

最初にこれを見たときは衝撃を受けた。香港では焼味(ロースト)に使う鶏肉や鴨肉が頭つきで丸ごと一羽店頭にぶらさがっているのが当たり前だ。頭つきの姿も見慣れて耐性はついたと思っていた。それでも羽をもいだだけで食品としてほぼ未加工の、まだ鶏肉というよりは鳥に近い姿が晒されているのを見るのは気が引ける。「こんなグロテスクなものを電車に貼って良いのだろうか」と心配になってしまった。

また、先日MTRで焼身自殺未遂事件があったが、翌日の新聞の一面にその事件に巻き込まれてひどく火傷したひとが大きく載っていた。香港人の友人いわく「過激なほうが目をひいて買ってくれるから」らしい。これが本当だとすれば被害者すら買ってもらうためのコンテンツという扱いに驚嘆してしまうが、それはともかく「これほどグロテスクなものを載せても許される社会なのか」と思ったのだった。

あるものをグロテスクと感じるかどうかは、そこにある文脈や個人の感性、あるいは感性を形作る社会によってそれぞれ異なるだろう。香港で幼少期をすごせば頭つきの鶏が皿に乗っていても違和感は持たない。それとは別に、社会からの規制も影響を与える。法や条例にかかわらず苦情によって自主規制するという流れはよくあることだ。もし日本で毛を剥がれた鶏の写真が広告に使われたら、「残酷だ」「あまりに生々しい」などのクレームがつくかもしれない。「子どもは刺身が海を泳いでいると思っている」と揶揄されるような日本社会には少々刺激的だ。

国によって感性も受容のされかたも異なるということの一例がこの鶏から垣間見えた。