香港のアマさん・お手伝いさん事情

尼さん、海女さんではなく、

アマさん、香港に住まれている方は非常に馴染みのある言葉だと思います。

広東語では、アマではなく、工人(Gung Yan)、もしくわ姐姐(Ze Ze)と日常的に呼ぶことが多いです(中国語では阿媽、英語ではAmahと表記されます)。

さて、このアマさん、実は住み込みの家政婦さんのことで、香港の生活を語る上ではかかせないワードなのです。日本では家政婦さんやお手伝いさんと聞くと、富裕層のみが雇用できるイメージがありますが、香港では、富裕層のみならず、一般家庭でも雇っていることが多いです。

この背景には、香港の政治や経済的な事情が深く関わっていて、男女平等な社会環境による女性の高い労働率、また、世界でもトップクラスの高額な家賃相場と物価の中で、夫婦共働きでなければ生活していくことが難しい家庭が多い実態があります。香港政府によると、現在、男女含め約34万人のアマさんが香港に住んでいます。この数字は単純計算で人口の約5%に値し、かなりの割合です。

アマさんは主に、フィリピン、インドネシア、タイなどの東南アジアから働きに来ていることが多く、週1日のお休み(ほとんどの場合が日曜日)には、談話をしながら、みんなで持ち寄った料理を食べたり、音楽を流したりして街中に座り込み、このように中心街や公園がアマさんで溢れかえります。

日曜日の中環(セントラル)にて

この光景は、初めて香港に来た人にはかなりのカルチャーショックかもしれませんね。笑

住み込みのお手伝いさんというと、安全面は大丈夫なのかという疑問があると思います。今まで全く問題なかったということはありませんが、アージェンシーを通したり、大体の人達は親戚や友人からの紹介ということが多く、信頼できるアマさんを雇っています。

約15年前、私が幼少期に香港に住んでいた頃、我が家でもアマさんを雇っていました。その頃は、通いでアマさんを雇うことも許されており、決まった曜日と時間にアマさんが家に来ていたのを覚えています。様々なアマさんが家に来ましたが、物静かで無口な人、陽気でたくさん遊んでくれた人、様々なタイプの方がいました。その中で強く印象に残っているアマさんが一人います。この方は、私たち家族が香港に移ってから一番初めに雇ったアマさんだったのですが、母がいなくなった瞬間、先ほどまで静かに働いていたアマさんの態度が急変するのです私がリビングでテレビを見ていると、掃除の邪魔だ、どけ、と怒鳴り追い払われたこともしばしば。今考えてみてもなかなか怖い経験でした。

しかし、それ以外のアマさんは、友人や知り合いからの紹介ということもあり、安心して雇用することができました。みんなとても親しみやすく、忠実に家事の手伝いや、私の面倒を見てくれました。

アマさんという存在は、様々な人種が入り混じる香港という地で暮らしていく上で、切っても切り離せない重要な役割を果たしています。

赤の他人を家に入れ、一緒に住み、掃除、洗濯、料理、子供の面倒まで全ての家事を手伝ってもらい、プライベートをさらけ出す。そのような状況をなかなかイメージすることが難しいですが、香港では決して珍しくはない日常風景なのです。そしてまた、このシステムが、世界都市香港を作る活力にもなっているのでしょう。

Works Cited
http://www.censtatd.gov.hk/hkstat/sub/gender/labour_force/
http://www.hkipcc.org.hk/history/report/docs/12prize_high1.pdf
http://hk.apple.nextmedia.com/nextplus/周刊專欄/article/20110929/2_15651141/媽姐長廊-陶傑

#日曜日の楽しみ #姐姐 #家政婦さん #アマさん #domestichelper
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医食同源・漢方談義

「このスープ美味しいね、薬の味がする」

香港の友人と台湾式牛肉麺を食べたとき、彼女がそう言いました。私には、その感想がかなり新鮮に感じました。「薬の味」と、美味しいという感想が、自分の中で結びついていなかったからだと思います。日本では、薬の味がする食べ物はまずありません。しかしごくまれに、保存料や香料のきつい食品が、そのように感じるのではないでしょうか。私の中では、「薬」は人工的で、気持ち悪い味というイメージでした。

香港人である彼女の中では、薬というのはもっと有機的な味のイメージと結びついているのではないかと思います。医食同源の考え方が強い中華文化圏では、漢方を取り入れた食べ物やスープがよく提供されます。日本語では「薬膳」にあたるでしょうか。

 

私は香港に来るまで、漢方や薬膳は、何だか怪しげで、西洋医学と違って科学的ではなく、本当に効くのかわからない、と思っていました。しかし、ここでは街中に漢方薬の店があり、漢方茶を飲めるスタンドがあり、そして大学にも漢方の専攻があります。大学で使われている漢方のテキストを見せてもらったとき、その情報量に驚いた記憶があります。そして、それだけではなく、初めにこの文献を暗記して、次にこれを学んで……というような、体系だった学問になっているようでした。

 

その驚きは、日本から香港にやってきて、少しの間勉強した体験の象徴的な出来事でした。現代は便利な時代です。インターネットと英語さえあれば、日本にいながらにして最新の情報と学問に触れられます。ともすれば、もはや留学なんか必要ないように思えます。しかし、やっぱり香港に来てよかったと思えるのは、自分の知らない場所で、自分の知らなかった価値観と理論によって動いている場所があるのだという、価値観の小さな揺らぎのようなものを、何度も感じたからです。

 

余談ですが、先日エアコンについて書きました。香港人のエアコン好きも奇妙だが、日本人のエアコン嫌いも奇妙だと。しかし、やっぱりエアコンは体に悪いのではないでしょうか。喉をやられてしまいました。

閑話休題。

漢方学専攻の友人に教わって、喉に効く梨の薬膳を作ってみました。効いている気はするけれど、西洋医学でいうプラシーボ効果というやつかもしれません。でも美味しかったです。薬の味がして。

香港と日本、エアコンについて

とても寒い。

5月の香港はすでにかなり暑く、TYAのオフィスでもエアコンをつけています。香港ではエアコンをガンガンに効かせるので、ずっと座っていると寒いのです。

香港の人たちは空気の通りに敏感で、新鮮な空気をとても大事にします。たしかに、香港ではそれほど暑くない日でも蒸し蒸しとしているので、エアコンの効いたバスや電車に乗ると、スッとして爽やかな心地です。

冬の寒い時期でも、結構な頻度でエアコンを使います。1月の真冬に熱を出して寝込んだとき、友人が面倒をみに来てくれ、私の部屋に入るなり、窓を全開にしました。寒いから閉めてほしい、と頼んでも、大丈夫だから気を遣わないで、と返されてしまいました。

これは奇妙な文化だ、と私は思いましたが、もしかすると1年中高温多湿な気候がそうさせるのではないでしょうか。日本の、特に東京の冬は、香港よりもずっと寒く乾燥していて、ウイルスに感染しやすいので、病人はとにかく加湿器をたいて籠もらせます。対して香港では、冬の保温や保湿についてそれほど重きを置いておらず、やはりエアコンで心地よい空気を、ということになります。

しかし思えば、日本人のエアコンぎらいも奇妙な風習ではあります。夏になれば日本でもエアコンを使いますが、たいてい設定温度を高くしたり、使う時間を制限したりします。節約や環境への配慮という面もありますが、我々日本人は、どうもエアコンが効きすぎていると身体に悪いような気がしてしまうのではないでしょうか。これは、どこから来た考えなのでしょう。

TYA香港での活動を振り返って( JP/EN )

ひとの心をどのように動かしていくのか、ということを考えさせられた。

これまで大学の学問分野では、物事をいかに論理的に、順を追って説明するかということが大切だった。レポートは教授が読んでくれるので、論理が正しく興味深いものであればいい。授業でのプレゼンは内容に興味のあるクラスのひとが聞くものだから、基礎知識のある相手に内容が伝わりさえすればいい。学生の立場からすれば最終目的は成績なのだから、いかに(時間をかけすぎず)ほどほど及第点のものを作るかという目線になり、みな似たり寄ったりのものになる。

ものごとを論理的に思考し伝える能力は、円滑なコミュニケーションやプロジェクトの詳細を詰めるにあたってとても重要であり、必要な訓練だと思う。しかし同時に、これまで自分が軽視しがちであった「印象」「感情」というものが実社会で人間にいかに強い影響を及ぼしているかということに気づかされた。学問分野とマーケティングでは、モノの見せ方に対する態度がまったく異なるのだ。データや知識に基づいて論理的に構成を作りつつも、いかに本来興味のない相手を直感的に惹きつけるかという答えのない課題に応えなければいけない。

同じ業種の企業サイトを比較することで、もっとこうすれば魅力的になる、などアイデアは浮かんでも、それは二番煎じにすぎない。新たな価値やおもしろさを生み出すことはもっと複合的だ。

マーケティング戦略だけでなくそのアウトプットとしての広告・デザインを手がけるTYAに身をおくことで、多くの文字で説明的に伝えるのではなく、相手にすっと入る簡潔さと明快さが大事というスタンスに初めて触れた。これは自分にとって非常に重要な示唆だった。受け手のことを考えるならば、理解しやすいに越したことはないのだ。論理的だから、興味深い内容だから読んでもらえるだろうという姿勢はある種甘えであり、立ち行かない。

任意のリサーチ結果をその方針に沿ってまとめていくうちに、自分なりの魅せ方と説明の仕方が僅かながらわかってきた気がする。そしてその作業は決してアートセンスを求められる難しい作業ではなく、相手を楽しませるための下準備なのだ。

デザインは、一部のアートセンスある人間が能力を見せる場ではけっしてなく、もっと日常的な場面で、相手のことを考えぬいてどうコミュニケーションしていくかという手段であると気づけた。

ほかにもさまざまな気づきがあり、この会社を通じて香港・社会と繋がることができてよかったと感じている。

二ヶ月間、ありがとうございました。

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My looking back on the work of TYA HK

Through my volunteering in TYA, I always think how to move people’s heart.

In the academic field, it’s more important to explain things logically step by step. Professors give us good grade to a logical and interesting paper. When we do a presentation in the class, it’s not necessary to make a stylish presentation as classmates have prerequisite knowledge. The final purpose of students is a grade. For them, it’s better to make the moderate presentation without spending much time. This mindset creates nearly the same quality of presentation of the students.

The ability to think and tell ideas logically is necessary to have smooth communication with coworkers or decide the details of a project.

However, I notice “impression” and “emotion” ( both I relatively neglected) take really an important role in the society. They strongly affect people’s behaviour. The way of showing ideas is totally different between academic field and marketing.

In marketing field, we create the strategy based on the data and knowledge but on the other hand, we also have to deal with a no answer question how to attract people instinctively who don’t have any interest in the product.

If we compare several websites which are in the same industry, we could get some ideas to make our website better, but there would be nothing very new. Creating new value or attractive point is more complex work.

TYA participates not only in a marketing strategy but also in an advertising design as an output of marketing. This is the first time for me to face the presentation attitude that simple and clear explanation is preferable than the long description by sentences. It is easier for recipients to understand quickly.

This attitude is really an important suggestion for me. Putting myself in recipient’s shoes, the easier the better. We should stop instantly thinking that logical or interesting contents should be certainly accepted.

Through the task in TYA, I gradually get how to show and explain contents better. This process is not a difficult work with special art sense but a preparation to entertain people.

The design is not a showcase to appeal artistic ability of few people. I have noticed that design is a way of communication in daily life based on the “recipient first” thought.

I am glad that I could learn all of this in TYA Hong Kong and have a connection with Hong Kong society.

Thank you so much.

TYA チャレンジの歴史 TYA History 2 ( JP/EN )

最初の海外オフィス
TYAの海外への挑戦は1995年のシンガポールから始まります。日系企業がアジア・中央向けのマーケティング拠点をどんどん外に移していく中でのチャレンジです。営業1人そしてデザイナー1人だけを開拓の担い手として500万円の資金だけを持って、なくなったらそこでゲームセット!という冒険が始まりました。努力の甲斐があって仕事が増えてくると、今度は東京から代わる代わるにヘルプを呼んでなんとか回していきました。タフでハードな毎日に、少しずついただけるようになったお金はストレスの発散のために近くの高い寿司屋さんに足繁く通うことでどんどん消えていきました。まだ見ぬ市場への好奇心。ハングリー精神。尖った感性。これらをバックボーンにTYAシンガポールはお客様の信頼を得るようになっていきました。

The first challenge was started from Singapore, there were one designer and salesperson from Tokyo in the office with the only 5million capital fund. At the time, so many Japanese companies were trying to expand its locations to Asia. It was a very risky gamble for TYA. However, they could gradually gain their works in Singapore, and helping staffs came from Tokyo alternately. Regardless of limited income, they spent so much money for Sushi to save themselves from enormous stresses in the unfamiliar environment. Nevertheless, because of that effort, edgy eyes on design, hungry spirit, and very curious heart for a new world, slowly Singapore office earn much reliability.

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TYA チャレンジの歴史 TYA History 1 ( JP/EN )

 

チャレンジャー集団、TYAの始まり

TYA は1982年に東京で生まれました。

創始者の吉見雅和は当時の親しいクライアントから勧められて1995年、当時はまだ珍しかったアジア進出に乗り出しました。
初めは1995年シンガポール、1998年香港、そして2010年ベトナム。

チャンスを掴むことは簡単ではありませんし、初めてのことに乗り出す時にはいつもわからないことばかりです。ですが、私達TYAHKはしっかりと初代のチャレンジ精神を引き継ぎ、チャレンジャーとして、チームで成長を続けています。

 

TYA was founded at Toyko in 1982. Our founder Masakazu Yoshimi was given a chance to expand his business to a foreign country in 1995 by our close client.
Being invited by one of our international corporate clients, we have started to develop our company across Asia regions, from Singapore(1995), Hong Kong(1998) to Vietnam(2010).

Generally, there is always uncertainties to take a chance. Nonetheless, taking the new challenge is our gene which was taken over from our first founder! That’s why we, TYA Hong Kong, are the team of professionals in taking challenges!

TYA チャレンジの歴史 TYA History 3 ( JP/EN )

 TYA香港はこうして始まった
 小さなクリエイティブエージェンシーのTYAが90年代からアジア展開を行うことができたのには3つの大きな理由がありました。
①  家電など日本を代表する企業が海外の市場を意識しアジアにマーケティングセンターを移転し始めていた。
②  「アジアに出ておいでよ。仕事をあげるとは確約しないけどチャレンジするならドアはオープンできるよ」というお客様からのありがたい「引き」があったということ。
③  ファウンダーの吉見は70年代に米国に留学。海外進出のマインドがあった。またチャレンジ好きのスタッフが多かった。
 
そして何よりも、”海外であばれてやろう”、”挑戦してやろう”という気持ちがあったことも大きかったと言えます。
ありがたい「引き」をいただいたのは「エッジの効いたクリエイティブ」+「小回りの効くサービス」評価していただいたからであり、いつまでもTYAのDNAとして強く意識していかねばならないと思っています。
 
95年のシンガポールから3年。今度は香港でも挑戦してみませんかという「引き」をいただきました。
しばしの紆余曲折を経て、吉見は現香港オフィス代表の植木を起用することになります。
当時、植木は日系広告会社の上海勤務を経て香港に移って来ていました。
 
2人の出会いは数年前の日本に遡ります。
 
植木は当時勤めていた広告会社で英文カタログデザインの発注先を探していました。TYAは候補の一つでした。
ミーティングの席で初めてTYAのメンバーと対面した植木はその場で、この会社と仕事がしたい!と思ったそうです。
代表の吉見はなんと白髪交じりのモヒカン(!)。超美人の女性営業にスキニーなニュージーランド人デザイナー。
スーツにネクタイ揃いのその他候補に比べてぶっちぎりで目立っていました。更にこれまでに手がけてきた仕事もクールなものから繊細なものまで。
上司達はうさんくさがっていましたが、反対を押し切って大手家電会社のアジア・中近東市場向けの総合カタログ作りを一緒に手がけてもらうことにしました。
 
こうして吉見と植木の親交は始まりました。植木は間もなく転職し上海に働くことになりましたが、数年後、吉見から香港ブランチ開設についての相談があったことになります。”誰かいないかな?”、”僕がいるじゃないですか(笑)”と、話は進みます。エンジェル投資家のご厚意を得ることもできTYA香港はスタートを切ることになったのでした。
 
次回は香港オフィス立ち上げのこぼれ話を紹介していきたいと思います。
これから海外で起業したい皆さん、ぜひ感想をくださいね。ご期待ください!

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There are 3 core points that the small creative agency TYA could expand its branches into oversea since 90’s.

1) It was the time for Japanese mega brands were glorying in their ascendancy in the foreign market, they started to set their branches in Asia.

2) “Why don’t you come to Asia? We cannot guaranty the business but we can give you chances if you wish.” One of our clients offers a great opportunity.

We should keep in mind that this was happened because of highly regarded skills of TYA such as the keen eye on creativity and the flexible services.

3)TYA founder Yoshimi had graduated American University in 70’s so he has very positive to expand his business into oversea.
In addition, there are many TYA staff who like to take any challenges.

Above all; there is full of very positive mind like “We should do something big in oversea” and passion.

After three years later from the opening of Singapore branch, we had received another opportunity to open a Hong Kong branch.

-How the TYA founder found the current CEO of TYA Hong Kong?
To look back their first meeting, it has to go back to a few years from 1998 in Japan.
At the time, the current CEO of TYA Hong Kong: Mr Ueki was looking for a design agency to make a catalogue in English for the oversea markets at the previous company. When he met TYA member first time, immediately he thought he would like to work with them. Interestingly, the TYA founder had the mohawk hairstyle at the time came along with a vivid portfolio, a very beautiful saleswoman and an ultra skinny designer from New Zealand. Without saying that they were so stood out from other ordinary creative agencies who just brought boring design works and wore the ordinary suits and ties.
Although other board members in Mr Ueki’s company were very sceptical about TYA, Mr Ueki decided to work with TYA with strong confidence.

So this was how they started to develop their partnership.
After a few years of the work, the TYA founder askedMr Ueki if there are any suitable person to operate the new Hong Kong branch. Mr Ueki had replied, “I am here for that.” Afterwards, they found an angel investor and finally, TYA Hong Kong had started to work on actual plans.

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「余談であるが、」

司馬遼太郎みたいですね。

真面目な話の中には、息抜きのような回があっても良いかと思います。日本語でブログを書いている以上は、日本の読者の皆様に、香港の魅力を発信していかなければと思うのです。

余談であるが、

本日、オフィスの皆さんに、飲茶に連れて行っていただきました。

香港といえば飲茶、飲茶といえばエビ餃子にシュウマイ……ですが、実はその他にも、美味しい点心はたくさんあります。

実は香港に来るまで、飲茶には興味がなかったのですが、一度行くと虜になってしまいました。日常的に通っているわけではありませんが、少し特別な食事によく使っています。点心の白くてぴちぴちに張りつめたフォルムといい、具は何だろう? というわくわく感といい、とても魅力的ではありませんか?
​まずは中華風焼きそば「炒麵」です。イカゲソ入りで、麺が細くパリパリ香ばしくておいしかったです。飲茶屋さんは、点心ばかりではなく、麺やご飯ものも美味しいのです。


​これは、「叉燒包」チャーシューまんです。甘辛く煮たチャーシューの細切りが入っています。チャーシューまんは、どのお店でもぱっくり割れた形をしています。どうしてなんでしょう。


「咸水角」ハムソイゴッ、と発音します。甘みのある餅で肉や野菜の餡を包んで揚げたもので、日本語では「もち皮揚げ餃子」と訳されるようですが、個人的には、餃子というより春巻きに近い餡だと思います。昔からある伝統的な点心だそうです。


定番のエビ餃子ももちろん美味しかったですよ! 香港人の友人と飲茶に行くと、よくエビ餃子を勧められます。なぜか、日本人はジャスミン茶とエビ餃子が好き、というイメージがあるそうです。


​そして、本日初体験の「蛋散」というデザートを食べました。甘いシロップがかかっていて、サクサクしていて、噛むと一瞬で粉々に崩れます。乾燥させたシュークリームの皮のようなお菓子です。

香港では、飲茶は普段の食事にしては少し高価ですが、日本よりもずっと安く食べられます。有名なチェーン店も美味しいのですが、個人的には郊外にあるような老舗が、素朴で親しみやすい味がして好みです。しかしどのお店も点心やお茶に豊富な種類があり、どれも美味しくて、やはり食文化は本場が最も豊かだと感じさせられます。

香港の女子学生

少し前に、東大における女子学生の少なさが話題になりました。東大に限らず、日本のほとんどの有名大学では、男子学生の割合が女子を大きく上回っています。そもそもの問題としては、大学進学率そのものに男女差があるようです。

私は、そのことにあまり疑問を持たずにいたので、香港の大学にやってきて驚きました。

女子学生の数が多い!のです。男子が圧倒的な日本の大学に慣れていると、すぐに気がつくくらい、女子学生の多さが目立ちます。この大学の男女比はほぼ一対一、文系学部では女子がほとんどで、一部の理系学部も女子の数が男子を上回っているそうです。

さらに、彼女たちの姿にも驚かされました。香港では、「学部はどこ?」と聞かれることはほとんどありません。皆、「専攻はなに?」と聞いてきます。そして、分厚い教科書やびっしり書き込んだノートを持ち歩き、専攻のことについて聞かれると、早口で自分の知識を熱弁します。

日本では、女性にこうした振る舞いはできないでしょう。それは、美徳ではないからです。知識をひけらかさないことこそが、美徳であるとされているからです。できるけれどもできないふりをしたり、知っているけれども知らないふりをしたりすることが、本当に賢い女性のすることだなどと、日本ではよく言われます。

香港にこなければ、日本の社会がどれだけ抑圧的であるかに気づくことはできなかったと思います。勉強する、努力するということに対して、非常にのびのびとした香港の女子学生たちを、私は羨ましく思います。

雨の香港、人間模様

TYAの次の記事に行き詰まり、大雨の中、少しの間オフィス付近のコーズウェイベイ周辺を散策してみた。

オフィスを出てまず、ビルの軒下付近で大雨から避難した人達に遭遇した。安全な軒下があるにも関わらず、濡れながら信号を待つ親子に、無言でそっと傘を差し出す人もいた。雨の通りに躍り出て両手を広げて興奮するピザ屋のスタッフにも会った。行きつけのカフェに行ってみたが、相変わらず客はおらず、スタッフが好奇の目で土砂降りの通りの様子を伺っていた。小学校の頃は台風が来ると学校が休みになるかドキドキしたものだが、香港はよくあの時の気持ちを思い出させてくれる。

 

 

日本であればこう言う大雨の時でも、ほとんどの人が冷静に対処し、コンビニで傘を買うなり、上手に軒下や地下道を利用するなりして、髪の毛までずぶ濡れになったり無謀に傘無しで大雨の中を走るようなことをする人はあまりいない。雨が降れば即座に様々な商業施設の入り口に傘ぽんが置かれ、コンビニなど雨具を扱う店では客が傘等を買い易いように入り口付近に商品を並べる。日本の都会人はズブ濡れになってしまうと、大概行き先の床や椅子も濡らして回ることになるので不名誉だと考えるのではないだろうか。
ほんの10分ほどの間、私が頼んだコーヒーを待つ間に、雨は随分落ち着いていた。帰り道、この僅かな時間に様々な人間模様を垣間見たきがしていた。
香港には色々な人がいる、と改めて実感した時間だった。たまには、雨に濡れてみてもいいかもしれないし、敢えて雨の中傘もささないでいるような人に、傘をシェアしてあげられる、強くしなやかな優しさを持っていてもいい。香港は様々な人種を許容してくれる場所なのだから。